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『倉吉八犬伝』 ショートショート
大瀧山地蔵院 篇
登場人物:犬塚孝弥/犬川水義
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<犬川水義視点>
「関金の山、最高だったなー!」
趣味のトレッキングで山登りを楽しんだ孝弥くんは、地上に下りてくると満面の笑みを浮かべ額の汗を腕で拭った。あまりに眩しいその姿が直視出来ず、思わず目を閉じてしまう。が、汗をそのままにはしておけない。自分が準備しておいた『たおる』を、目を閉じたままの状態で孝弥くんへ突き出した。
「孝弥くん、汗、これで拭いてください」
「お! 水義は相変わらず気が利くなあ。ありがとさん!」
雑ではあるけれど、額や首に浮かんでいる汗を『たおる』で拭い、孝弥くんは「楽しかったな」と今日の出来事を振り返っている。この人は400年前から、本当に何も変わらない。無邪気でまっすぐで、太陽みたいな人だ。
水分補給のために持ってきた『すいとう』も渡し、自分も汗を拭う。すると孝弥くんは「なあ」と声をかけてきた。
「まだ夕飯までは時間あるし、今日はもうちょっと歩いてみねえか?」
「え、まさかまた山に……?」
なら速攻お断りしよう。そう思ったが、孝弥くんは首を横に振った。
「違う、違う! この近くにな、大瀧山地蔵院ってところがあるんだ。俺らを住まわせてくれてる家のばあちゃんが、たまにそこへお参りに行ってるって聞いてさ。俺も行ってみたくなったんだよ」
つまり、触発されたわけか。
孝弥くんは人から話を聞いて楽しそうだと思ったら、居ても立っても居られない性分だ。そういうところも相変わらずだな、と思わず苦笑してしまう。
「日が落ちるまでは、まだ時間がありますし……いいですよ。お付き合いします」
「よっしゃー! んじゃ、さっそく行こうぜ」
「場所はわかるんですか?」
「あいつから地図貰ったから、ばっちりだ!」
「そうですかー……じゃ、それ自分が見ますね」
孝弥くんだと、ノリと直感で動いてしまう事がある。ここは自分が、しっかり案内してあげないと。もらった地図を片手に、さっそく瀧山地蔵院へ向かって歩き出した。
* * *
関金宿にある大瀧山地蔵院は、真言宗御室派の古刹――古いお寺だ。
「ここは、天平勝宝8年に開創されたそうですよ」
「てんぴょうしょうほう?」
「今から1267年前だそうです」
孝弥くんは両手の指を折って計算しているが、それじゃあ追いつかない。自分が脳内で計算する。
「自分たちが今から400年前の人間なので……あの頃から、867年前という事になりますね」
「へえ! そんな昔からある寺なのか!」
「もしかしたら、里見の殿様がこちらに移り住んだ時にご挨拶へ伺ったかもしれませんね。自分は覚えていないんですが」
「礼采か乙智なら、覚えてるかもしれねえな!」
そんな雑談をしながら中へお邪魔し、まずは奥の本殿でお参りをする。
「静かでいいところだな」
その後、この地蔵院に安置されているという国の重要文化財『木造地蔵菩薩半跏像』を見に行く事に。入ったすぐ目の前にある木造建築の中にあるそうで、住職が丁寧に説明をしてから、開けてくれた。
「デケェ!」
扉が開いて第一声。孝弥くんの大声に、住職さんは嬉しそうに「でしょう」と笑った。
「孝弥くん、うるさいです。声を抑えてください」
「あ、悪い。つい……でも、これ見たら誰だって叫ぶって!」
「それは、まあ……」
目の前に鎮座する大きな地蔵菩薩像を前に、自分もさすがに驚きを禁じえない。
「立派な丈六像ですね」
その迫力を前に、開いた口が塞がらない。孝弥くん感動している様子で、黙って目を輝かせていた。
行きたいと言っていたので、その孝弥くんが楽しんでいるのなら良かった。ほっと胸を撫で下ろし、少し近づいて地蔵菩薩像を見る。いや、これはもう見上げる……の方が正しいだろう。
「自分たちがいた時代にも、大きな菩薩様を彫る彫師はいましたが……いやはや、これだけの像となると、一体何人がかりだったのか……」
「俺も作りてえなあ!」
「……」
そっちでしたか。
振り返ると、孝弥くんは両手で精一杯の大きさを表現しながら「これくらい!」と言う。
「さすがに菩薩様は俺には似合わねえし……はちお……いや! 牛骨ラーメンだ! 牛骨ラーメンの像を彫る!」
「彫るのは勝手ですけど、そんな大きな『らーめん』の像、どこへ飾るんですか? 家には入りきれないでしょう」
「庭がある!」
「いや、邪魔すぎますよ」
「でも、なんかやりたいんだよ! この感動を他のヤツらにも教えたいんだ!」
あいも変わらず、熱い人だ。呆れてしまうけれど、そこが孝弥くんのいいところでもある。何より、彼がやりたいと言う事なら出来る限り叶えてあげたい。
しかし、像は……。
どうしたものかと思案していると、壁に貼ってある『ぽすたー』が目に入った。
「孝弥くん、こちらでは数珠作り体験や写経体験……それに、匂い袋製作体験が出来るようですよ」
「数珠と言えば、伯姫が持ってる数珠を思い出すな。それが俺たちの繋がりでもあるし……へへっ、なんか縁を感じるぜ」
「どうですか? これなら邪魔になりませんし、みなさんにも教えられます」
孝弥くんは腕を組んで「うーん」と低い声で唸った。
「数珠もいいけど、どうせなら写経を体験してみるのはどうだ? こういうのって、普段やらねえだろ」
「孝弥くんがやりたいものでいいですよ」
「よし、そうと決まればさっそく……住職! 写経体験って出来るかー?」
さっそくお願いをし、場所を移して写経体験をする事に。
経が書かれた紙を参考として横に置き、手元に書き写すための和紙を広げる。そこに、筆をそっと乗せて経を書く。
「さすが孝弥くん、字がお綺麗ですね」
自分と違い、立派な出自の孝弥くんは美しい字を書く。
「いいや! こんなもんじゃダメだ! もっと綺麗な字を書かねえと!」
「はは……自分に厳しい人ですね。気にする事ないのに」
努力する事が当然だと思っている人だから、孝弥くんは誰に何を言われても納得いくまでやり続ける。写経も同じようで、「こうじゃない」「これじゃない」と呟きながら、同じ字を繰り返し書き続けていた。
が、その努力は時に彼を裏切る。
「ぐ、ぬぬ……!」
「孝弥くん、なんだか字、曲がってきてません?」
「う……腕が、疲れてきて……手が震えるんだよ……!」
「そこまで必死にやる事ないですって!」
「いいや、ダメだ! ここでやめちまったら犬塚家の名折れ!」
「写経くらいで犬塚家の名は汚れませんから!」
山登りもしたからだろう。手が震え、筆を落としてしまう。さすがに止めようとするけれど、孝弥くんは尚も筆を手に取ろうとする。
「だから、もうやめてくださいって……ああ、もう!」
止めても聞かないなら、奪うまで!
「水義!? 何を……」
孝弥くんから筆を奪うと、ほぼ真っ白な紙へ筆先を下ろして――
「ハッ!」
「す、すげえ! あっという間に経を書いてる!」
「そりゃ!」
「おおおおお! 俺の和紙に、経を全部書きやがった! さすが水義だぜ!」
孝弥くんからの拍手に、自然と胸を張る。
「あ、でも水義の分がまだ真っ白……」
「まだまだいきますよ! そりゃあああ!」
「すげえ! こっちもあっという間だ!」
「ふふふ、これくらい余裕です」
「水義、水義! 次、こっち! こっちにも書いてくれよ」
「おまかせください。孝弥くんが望むのなら何枚でも書いてみせます! そりゃあああ!」
「おおおおおおお!」
そうして気がついたら、部屋一面経を書いた和紙で散らかってしまうのだが……この時の自分と孝弥くんは気分が高揚してしまい、気付くのは随分後になってからだった。
◆END
著:浅生柚子(有限会社エルスウェア)



「大瀧山地蔵院」